職場で年に3回くらい回ってくる寄付金集め。この他に自治会でも、神社への寄付や赤い羽根の共同募金などが毎年のように来ます。 基本的にそれらはお断りしています。 といってもお金がもったいないからではなくてですね・・・・・
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そもそも寄付・募金は自由意思のはずですよね
こんばんは ミオレナです。
心のありかたがいつもプカプカ柔らかいからこそ違和感を覚えてしまうことがたくさんあります。
そのひとつが半強制的な寄付と募金です。
私の住んでるところは、標高が高めで水と空気はキレイな田舎です。
これすっごいヒントですねw
そんでもって我が家は、新幹線が停まる駅まで歩いて行ったらぶっ倒れるくらい郊外にあります。
こんなザ・いなかの自治会の慣習として、近くの小さくて不気味な『神社へ1000円寄付してくだされ』とのお達しが毎年2回ほど来ます。
幸いこれに関しては信仰の自由が認められており、払いたくない人は払わなくてよいことになっています。
“カチーーン”とくるのは赤い羽根共同募金や社協関連です。
特に会社においての各種募金は一人500円というように、あらかじめ額が決められているのです。
おまけにご丁寧に、従業員全員の名前があらかじめ一覧表に書かれています。
このため誰が寄付したか寄付しなかったかが一目瞭然になってるんです。
こんなふうになってると、すんなりと出すのをためらってしまいますよ~。
500円が高額だから、とか金額の問題ではありません。
原点に立ち返って考えると、そもそも募金・寄付って自由意思に基づくものではないでしょうか?
したい人は善意でする。したくない人はしない。
額が決められてたり、あらかじめ個人名が封筒に明記されてればもはや半強制ですよね?
まるで出さない人を晒しものにする儀式みたい。
だったら募金の名目ではなく〇〇会費にすればいいと思いませんか。
それなら納得するのに。
寄付・募金の捉えかた
半強制的な募金は、私の実家の地域でも例外ではありません。
年に何回も募金案内が回ってきてるようです。
ちょうど私が実家に滞在中のときも役員さんが回ってきました。
「ハイハイ」と機嫌良くお金を出す母。
後に母に尋ねてみました。
「なんでいつも簡単に出すの? おかしいなと思ったことはないの?」と。
すると母は不機嫌そうに「しかたないじゃない。集金する役員が御苦労するでしょ。うちだけ出さないと変に思われるよ」
”しかたない…..” ”変に思われる…” いつでもどこでも聞かれるこの口癖。
私はこれらの言葉が嫌いです。
すべてを諦めきってしまって、完全な思考停止としか思えないから。
”自分がどう思うか” ではなく ”どう思われるか”をひたすら気にするのは極めて日本的で残念なことです。
ま、それはいいとして母が ”寄付行為の意義”といったややこしい命題は一切考えたこともなく”(お金を出さないと)役員に対して申し訳ない”と余計な気遣いをするのはこっけいであり、論点のすり替えと思えてしまいます。
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寄付・募金に対する同僚の反応
職場ではどうかといえば、私以外誰ひとりとして疑問を持たずサッサとお金を入れています。
二、三度先輩に言ったことがありました。
「本来、募金は任意なので会社の募金とはいえ遠慮させていただきたいのですが」
先輩は言いました。
「そうですね。入れたくなければ入れなくていいですよ」
一見すると理解を示したふうですが、その先輩は立場上慣習に抗らないというわけではなさそうです。
ただ忙しすぎて、いちいち余計な事に気をとられたくないから目の前の儀式をサッサと終わらせたいだけに見えました。
寄付・募金に対する意識の差
私の周りのほとんど人たちは、寄付・募金に対して疑問を持ってるとは思えません。
もし仮に思ってたとしても声を上げません。
100円や500円だからためらわずに払ってしまうのだと思いますが、もしこれが3000円になったらはたしてどうするでしょう?
冒頭でも申しましたが、私はお金をケチりたいわけではありません。
打ち明けますと、過去にけっこうな額を寄付しております。
ただしそれは本当に困ってる人たちへ。
本当に信頼できる組織または個人へ。
疑問に思うことは、あまりに形骸化してしまったために本当に必要なのか、実際何に使われてるのか不透明であること。
個人の意思があろうとなかろうと半強制的に徴収されてること。
それについて盲目的に従う人が多すぎること。
ということです。
身近には賛同者がなかなかいなくてもどかしいですが、ネットの世界には似たような考えの人を見受けることができます。
一筋の光が見えたようで嬉しいです。
本当におかしい。私も自治会の役員しているが、募金に目標金額を言われて集められさせられた。何につかうかも説明なし。来期は役員じゃないから、募金集めないで済むから助かるけど、私自身はもう募金やら寄付は受け付けないつもりだ。
しかも、羽募金するとバックマージンが自治会に入ってくるらしい、それもおかしく思っていた。気が小さいので役員会の時に質問は出来なかったですけどね。もう慣例化してしまっていて、疑問に思う私の方が変人扱いされかねない状態です。(yahoo知恵袋より)
本来は、市会議員などが動くべきなのでしょうが、保革を問わず役人の天下りと関連した組織に対する攻撃は力が入りません。町内会の役員の意識改革がまず求 められるのではないでしょうか。町内会費は、役員の自由に使えるお金ではなく、町内の皆さんから預かっているものだということを自覚すべきです。
私の場合は、町内の役員たちが同じような意見を持っていることが支えになっています。もし、他の役員が上に言われたことに異を唱えられない人たちだけであれば町内の役員にはなっていられないと思います。下手をすると、私自身の町内会脱退に繋がるかもしれません。(内野光子のブログより抜粋)
ただ、昨今マスメディアの存在により夢や希望、理想を誇大に表現する機会が増え、自己に支払い可能限度以上の選択を行う人々が増えている。
身銭を切る事が理想ではあるが、そうしなくてはならないと言う思いは、他人の押し付けでもある。
(引用=『猫は感情に入れません』:たけ)
あとがき
募金というのは本当は自由意思に基づくもののはずです。
それを半強制的に納めさせることにより、協力したくないのなら行政や町内会に対して総会で反対意見を通すなど気まずい・困難な特別な行動をとらないといけないという逆転したシステムにすり替えられてる現実があります。
一度構築されたシステムはとてつもなく強固でなかなか変わりません。
でも、疑問を持った人たちが声をあげることにより少しずつ変えていかないといけないと思います。
人々の善意が本当に困ってる人たちに届きますように。
また、個人の意思が本当の意味で尊重されるよう願って止みません。
平成29年1月16日 加筆
新年早々一発目の儀式が職場にやってまいりましたよー!
ついおとといのホヤホヤのできごと。
なんと今回私は500円を出してしまったのです!
ちょっと迷ってから”とうとうやっちゃったー”と忸怩たる思いをしながら。
なぜ出したかというと、募金がなにに使われるかが昨年の会議でハッキリしたからです。
先輩に耳もとで「長く勤めたいなら出しておいたほうがいいよ」と”ささやき女将”のようにささやかれたからです。
使いみちが決まってるならまあいいか、ってことでさすがの私も協力してチャンチャン♪ではありましたが正直言うと、
こっちこそ寄付してもらいたいわ!
善い行いをしたのに妙な屈辱を感じるのはなぜ??
私もずっと疑問に思ってましたが
以前住んでいた所は、募金しませんと言ってましたら次からは募金を集めに来ませんでした。
今田舎に帰ってこの度募金しませんと言ったら
役場から来た書類に貴女の名前と金額が決めて書いて有るからしないのなら、役場に電話をして下さいと言われました。
強制では無いですよね?と聞きましたらそうですと、返事されましたが納得のいかない顔で帰られました。
赤い羽根と緑の羽募金が金額を決めて来るなんて信じられません。
鈴子 様
こんにちは はじめまして。当記事にコメントありがとうございました☆
とても貴重なご指摘だと思いました。
どうして皆さん唯々諾々と簡単に募金に応じてしまうのか、私は今でも不思議でなりません。
今期は地区の役員を任されまして、よりいっそう『なんなんだ? これは?』の思いが強くなっています。
寄付をするお金があるとかないとか金額の多少の問題ではないんですよね。
本来自由意志に基づくはずの寄付・募金がどうしてあらかじめ用紙に氏名や金額が印字されて、寄付することが
前提のようになってるのか ということなんですよね。
多くの人は『したけりゃすればいいし、したくなければ断ればいい』『わずかな額なんだからどうってことない』
『出さないと役員さんに申し訳ない』などとそんなに深く考えてない気がします。
でももしこれがもっと大きな金額になったらどうするんでしょうねえ……
私は、鈴子様のように『疑問を持つ人は少数派』と簡単に片づけてはいけない問題だと思いますよ。
何の疑問も持たず、盲目的に従うだけの大勢になってしまわれたのですね。
総会で知った使い道が真実かどうか、どうやって確かめたのですか。
そもそも「募金を強制させられる」ことが問題だったのではないのですか。
思考停止した人には何を言っても無駄でしたね。
募金ハラスメント 様
はじめまして。コメントありがとうございました。
「盲目的に従うだけの大勢」とは私のことでしょうか。
たしかに昨年は1回だけ会社の組合関係の募金にお金を出しました。お金の使い途が車椅子だとわかりましたので。
渋々とはいえ出したことには変わりありませんね。
本当に車椅子に使われたかどうかは調査はしてませんが、上司が写真と文書を皆に見せたのでそれに関しては特に疑いは
もっておりません。
そのときは本当に車椅子に使われたと私が納得したからお金を出したまでです。
これからも毎年3回ほど回ってくる募金にお金を出すかどうかは今はわかりません。
奇しくも今期はお金を集める側の役員になってしまったので、なおさら頭を痛めてるところです。
自分自身がこれまでほとんど募金をしてこなかったのだから職員たちに「ご協力お願いしまーす」とは
言えないし、積極的に言うつもりもありません。
万が一お金が集まらなかったとしてもそれはそれで仕方のないことだと思っています。
だって自由意志ですから。
会社だけでなく自治会でもホントにいろんな寄付が回ってきますね。多すぎると思うし、そもそも自治会単位で
扱うのもおかしいとずっと思ってます。自治会って結局は『集金マシーン』じゃないかと思えてきました。
寄付の名を借りて効率よくお金を集める組織。
皮肉なことに私は自治会のほうの役員にもなってしまいました。就任して約9か月経って感じることは、
本来は個々人の善意であるはずのものが、そうではなくて組織の体裁のためのものになってるということ。
つまり集める立場側すると『〇〇〇円くらい集めないとカッコつかないな、長に批判されやしないかな』みたいに。
寄付に目標額やノルマがあるのもおかしな話です。
今のところ額が少額だからみなさん文句も言わずに払ってますが、これが数千円単位になったらどうでしょう。
日本人おとなしすぎだと思います。
夕べも自治会会議があり、赤い羽根募金も議題に上がってました。
「〇月〇日までに各戸〇〇円集めて来てください」と自治会長よりお達しがありましたが、やはりその場では
誰も何も言わず。
もう長年の恒例だから『上から言われたことは黙ってチャッチャとやる』のが当たり前の雰囲気です。
会議が終わって戸外でひとりの男性役員と一緒になったので私は「寄付とかお金集めることが多すぎですよね?」と
振ってみましたが「そうだなーヘヘヘ」で会話は終わり。
なんとかして『思考停止してない人間』を探し出して仲間を増やします。