『女は子宮で考える』とはたまに聞くが、その言葉を聞くたびに眉をひそめてしまう。『男は金〇で考え、女は子宮で考える』だったとしても同じだ。私はフェミニストではないし「女イコール子宮という言い方は女性蔑視だあ!」などと言うつもりもない。普段子宮なんか意識してないよ。むしろ・・・
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こんにちは。高崎のあの有名なグーテ・デ・ロワのラスクをいただいて、あらためて美味しさをかみしめてるミオレナです。
グーテ・デ・ロワとは『お茶会』のことだと包装の裏面に書いてありました。へ~~そうなんだー 😉
さて今回のテーマ『女は子宮で考えてない』の『女は』について。
もちろん私は女性の代表ではありません。
だからといってタイトルを『私は子宮で考えない』にすると、もとの格言がわかりづらくなってしまうので敢えてそうしました。あしからず。
おそらく大昔のヨーロッパ人の男が考えたであろう『女は子宮で考える』という格言。
言葉そのものには侮蔑的な意味はないのかもしれません。
ただ、使われるときには『男は理性的にモノを考える』に対し『女は本能的かつ感情的な生き物だ』というような、やや見下したいときに使われるような気がします。
「好きな人のことを考えると子宮のあたりがキュ~ンってなっちゃう」女もいるらしいので、あながち間違いはなさそうです。
この格言がいつ頃どんなきっかけでできたのか、といった小難しいことはwikiさんたちにお任せするとして。
子宮は単なるカラダの大切な器官のひとつ。
私にとってそれ以上なにのものでもないです。
男も女も脳みそで物事を考えるのは子どもでもわかる当たり前のこと。
ですが毎日の行動パターンの中で、私にとって中心的存在となってるのは子宮ではなく『腸』です。
『腸』の状態が基準になっているとしか思えません。
photo credit: Franck Genten P6d_011_rampe hélicoïdale_spiral valve_Acipenser gueldenstaedtii via photopin (license)
腸は地味な司令塔
女が集まると血液型の話題と同じくらい出てくるのがウ〇チのこと。
いつから出てないだの、お腹壊してる最中だの、ゆる気味だから食べ物がどうのこうのとか。
入院病棟でも「出なくて困った~」とペチャクチャ盛り上がるのは決まってオバチャンたち。
この私も例外ではなく、3年くらい前から急に意識するようになりました。
仕事がら毎日外に出て人と接しなくてはいけないからです。
以前ブログにも書きましたが、私にはトイレパニック症候群のコンプレックスもあります。
できるならば便器を背負って歩きたいくらいですが、現実的にはせいぜい常にトイレの場所を確保しておくのが関の山😿
その日の気分はお腹の調子によって決まるといっても過言ではありません。
毎朝スッキリなら毎日ハッピーでしょう♪
実際そんなことはまずなくて、極めて不規則で気まぐれなもんです😿
朝スッキリしないと突然いつスッキリしたくなるかサッパリわかりません。
あなたもイライラしませんか? ちゃんと出てないとき。
そんなときはお気に入りのトイレが近くにない山間部に仕事に行くのは辞めよう、と勝手に予定を変更します。
お客様の家に長居するのもお茶をいただくのも控えたくなります。
「ちょっとお手洗いお借りしていいですか」とは極力言いたくありません。
失礼なことですから。
それに・・・もし”シ~ン”と静まりかえったお宅で用を足してる最中に予想外の恥ずかしい音を立ててしまったらと考えると、とても恐ろしくてお茶なぞ飲めたもんではありません。
”つれない人ねえ”と思われようとサッサと退散します。
また、プライベートで異性と1対1になるシチュエーションのときも死活問題です。
お腹の調子がイマイチな時にまったく予期せぬタイミングで雄叫びをあげたらムードぶち壊しです。
こう考えると、腸の調子を整えていないとずいぶん損してるなと思いますよ。
そんなこんなで私の毎日は腸のご機嫌をとることで回ってます。
腸は脳より賢い
人間は脳死した状態でも呼吸と血液の循環さえ保てれば『腸はきちんと機能している』そうです!
幸せ物質のセロトニンやドーパミンも、腸で作られて脳に指令を送ってるんですって!
免疫を活性化して、病原菌を排除してるのも腸!
すごくないですか!?
腸は脳に支配されてないってことなんです!
お腹の中でただ暗~くウネウネしてる巨大いもむしではなかったんです!
もっといたわらなきゃいけないんです。
なにかを食べるとき、脳でなくて腸に「これは本当に必要なの?」と聞くことにしました。
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何十年か前の若いころ、同年代の女性の或る顔つきや表情が嫌いで、当時は理由がはっきりしなかった。最近になってそれは「子宮で考えている顔」だったのじゃないかと思い始めた。じゃ具体的にそれはどんな顔と言われても、例示するわけにはいきませんが。その顔つきさえなければ、逃げたりせず、すんなり好きになっていたかも?と今では思う。
とりあえず、そんなキーワードで検索すると、こちらにヒットしました。何やら蘊蓄があるのではと期待してましたが、腸で考えるということで、それはそれで最もと思いながら、ちょっと残念な感あり。それはともかく、今では、「子宮で考える」は十分理由があることで、嫌いになるべきじゃなかったかな、もう少し寛容であればよかったかなと思い返しています。十分理由があるというのは、女性には、その後にやってくるであろう受け入れるかどうかの選択をする場面に備えて、あらかじめ十分に男を見定めておく必要があるだろう。その点、男性ほどお気楽じゃ無い筈だろうという考えです。
当時、なぜ嫌いだったかというと、そこになんだか矮小なエゴイズムを感じたからだと思う。今はしかし、それを将来子を宿すかもしれないという最高にして崇高な生命原理としてのエゴイズムだったのではないかと理解し始めています。だから、その点に於いて男と女は非対称で、機械的に『男は金〇で考え」と置き換える例えにはやや無理がありそうな気がします。まぁ、こんな考えもあるということで。 以上、年寄の戯言でした。
バイクジジー様
こんばんは はじめまして。
コメントいただきまして真にありがとうございました。
6年も前に書いたこの風変わりな記事にまさかコメントをいただけるとは想定外でした。
自分で書いておきながらいったい何を書いたのか記憶が定かでないので慌てて記事を読み直した次第です。
そして思わず赤面というか苦笑してしまいました。
これほど独善的で益のない記事が他にあるのだろうかと……(/ω\)
ようするに「女は子宮で考える」というフレーズがどこか女性に対して侮蔑的なニュアンスを感じたので、自分なりに抵抗したかったのかなーと。
けっこう尖ってましたねー私
さてバイクジジー様はかつて同年代の女性の顔つきが嫌いで、それが『子宮で考えてる顔ではないか』とふと思ったとのこと。そうだとしたらそれなりの理由があったはずなので嫌いになったりせずにもっと寛容でいればよかったなーと思い返されたのですね。
その文章を拝読しただけで私にとってはものすごく新鮮であり、おそらく一生そのような発想すら湧かないことでしょう。単に相手の顔つきや表情が嫌い、で終わることなしにその顔つきの理由まで思い巡らせてたのですから。
バイクジジー様はとても哲学的でダンデイーなかたなのでは?と推察してしまいました。
“矮小なエゴイズム”を感じた、とありますが、当時そのように感じたのは事実ですよね。 それが”最高にして崇高な生命原理としてのエゴイズムだったのかも”という見方に変わってきたのはバイクジジー様が素敵な歳の重ね方をしている証拠だと思いました。
とはいえやはり一番気になるところは、はたして当時のその女性の表情がどういうものだったのか、という事です。