やさしさには2種類あると思わないかい? 例えば電車に乗っててお年寄りや妊婦さんが目の前に立ってるとき、心から気遣って席を譲るやさしさ。もうひとつは ”ここで席を譲らないと冷たい目で見られちゃうな”と回りを気にするから譲るやさしさと・・・
photo credit: Guillaume DELEBARRE (Guigui-Lille) Best friends via photopin (license)
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天使的やさしさは大人になるにつれて減ってくる?
こんにちは。昨日ひさびさ電車を使い、ガシャっと自動改札で通せんぼ喰らったミオレナです。
ポッケに入れてた2枚の切符のうち1枚が使用済みだったためです。
重ねて入れてガシャされて一瞬焦って恥ずかしかったです 😳
いつもなら車で行くのに今回電車で行ったのは、道中の時間を有効に使いたかったから。
タブレットでメルマガ見たり、メール書いたり、人間ウォッチングしたり 🙄
人間観察するのが好きでね。
人間を見ながらいろいろ考えるわけですよ。
ところで、電車が混んでくると起こりがちな席を譲る譲らない事情。
私は電車の席に座ったときにうしろから当てられる足元のあったかさが大好き 😳
乗るとすぐに座っちゃうんですよ。
あの温かい風はどういう仕組みで出てくんのかなーっていつも不思議に思います。
足元が温められてるから、トイレのない車両の30分の道中も耐えられるのです。
うまくできてますね。
まるで私のトイレパニックを知ってるかのような配慮 😮
さて前置きが長くなってすみません 😳
電車に飛び乗ってホッコリしてると、たまに目の前に『席を譲らなきゃいけないかな~どうしようかな~』ゾーンの人がお立ちになってることがありますね。
あなたならどうしますか?
サッとスマートに譲る人?
パチパチパチパチ!
すばらしい!
そんなとき私の頭の中はちょっとグルグルしちゃいますよ。
”あ、おばあちゃんだ!席を譲んなきゃ”
”なんだか疲れてるみたいだぞ・・・”
”いや待てよ。最近のお年寄りは元気だ。もしかしたら立つことで足腰を鍛えてるかもしれない”
“下手に譲ると『あたしゃまだそんな年よりじゃないわい!』って思われやしないかな”
”おいらだって疲れてるのさ・・・”
”でもここで譲らないと『なんだあいつは。冷てえ奴だ』と白い目で見られる”
”おばあちゃんにどう思われてもいいから譲ろう。あたしはイイ人”
わずか5秒の間にこんだけのことを頭ん中でゴチャラゴチャラと紡ぎ出し、結局ぴょこっと立ちあがり「どうぞお座りください」と気取って言う。
するとおばちゃん「あと少しだからいいですよ」・・・・だと 😯
とまあよくあることです 😐
なにが言いたいかというと、電車でのヒトコマの中にも、
『相手を心から気遣いサッと席を譲るやさしい自分』と『回りからどう見られるかを気にするやさしいふりをする自分』ふたつの自分が登場してくる
ということなのです。
前者のホンマにやさしい自分を天使的やさしさと名付け、後者を小悪魔的やさしさと呼ぶことにします。
photo credit: Tortured Mind Heaven and Hell via photopin (license)
しみじみ振り返ってみるとですね、子どものころのほうが天使のやさしさがたくさん登場してた気がするんです。
”ここでやさしくしとかないと、あとで誰に何言われるかわからない”なんて考えずに素直に行動してたと思うんです。
それが大人になるにつれて、だんだんと素直な心に余計な尾ひれがついてくるのはなぜだろう。
例えば職場でのお菓子の差し入れ。
女性ばかりの職場だと、毎日のように飴やおせんべいをいただく。
もらうのは嬉しい。ありがたい。
いつもいつもいただいてばかりではワルいから私もなにか持ってこなきゃ、と思ってたまにはお菓子をみんなに配ります。
いっぽうで、もらいっぱなしのまま自分から差し入れしない徹底した人もいます。
私はそういう人に対して『ケチ』と思うのでなく、”無理してなくていいな”と思います。
”みなさんに美味しく食べてもらいたいから”差し入れるというより、”いつも貰うばかりでアイツはちっともお菓子を持ってこない気の利かない女だ”と思われたくないから持ってくることが多い私です。
例えば知人の結婚式。
あなたは招待されたら、心から喜んで出席しますか?
それとも・・・
私はかなり親しい友人の結婚式でも、小悪魔的やさしさが顔を出すことが多い人です。
今の自分が不幸でなくても、嫉妬してなくても、心から”おめでとう!幸せにね!”って言ってないことが増えてきました。
特に形ばかりの冠婚葬祭のときはそんな傾向にあります。
だから苦手です。
小悪魔的やさしさをやめると楽になる
お菓子を持ってきたくなかったら持ってこなけりゃ済むこと。
電車でもし自分がすごく疲れてたら、無理してお年寄りに席を譲らなくてもいい。
本心から思ってなければ過剰な笑みとリップサービスを慎めばいいだけのこと。
小悪魔的やさしさばかりだと疲れるよ。
どれが本当の自分なのかわからなくなってくる。
だから小悪魔的やさしさを無理して出さないようにしたい。
そうすればホンモノの天使的やさしさが溢れてくると思うのです。
やさしさのあとがき
今の日本は小悪魔的やさしさのほうが多い気がします。
ホンモノのやさしさを出すほど損して、カラ回りしてばかりだとは思います。
あなたはそう思いませんか?
もっと自分の気持ちに素直になりたいです。
まわりがどう思うか、とか何と言われるかを過剰に気にしないで。
人の心に沿ってばかりでなく自分を軸に生きると、楽にしあわせになれると思うんですよ。
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正直でいいな…って思いますよ♪
その「小悪魔的優しさ」で苦労しますよね(^_^;)。
でも本当に困っている人がいて
自分一人だけだったら
サッと手を差し伸べてあげたい。
誰に誉められるでもなくね(o~-‘)b。
おーとも 様
たびたびのコメント本当にありがとうございます☆
『小悪魔的やさしさ』のチクチクとした胸の痛みをわかっていただけたなら嬉しいです。
そのとおりです☆
本当に困ってる人がいたら、誰かに認められたいとか褒められたいじゃなくて
自然に手助けしたいですよね。
おーとも様は天使的やさしさをたくさんお持ちなんだと思いますよ☆
良い引き寄せ を 呼び込むには❓
色々な人が色々な事を言っていますが、その一節に
自分が楽しい。と思うことを選択の基準にしましょう。というのがあります。
例えば寄付・席譲りは
可哀想な人だから、具合が悪そうだから。と同情から行うのは負のイメージが負を呼び寄せる。
寄付する余裕のある私は素敵。
健康な私・親切で心くばりが出来る私は素敵。
と、自分中心で 物事を 考えて良いそうです。
ちょっと、奥ゆかしい日本人の国民性には 合い難いかもしれませんが。
言葉 遊 様
いや~今回も実に興味深いコメントありがとうございます☆
遊様のコメントから学ばせてもらってますよ。
「自分が楽しいと思うことを選択の基準にしましょう」
なんて素敵なこと!
たくさんの人がこういう姿勢になればストレスの溜まらない日常が過ごせそうですね。
まずは自分がそう変わります!