20代で2000万円貯めた。建設会社の事務員やってたら自然に貯まった。その後いろいろあって50代の今は裕福ではないけれどいつも幸せを感じる。幸せを感じるかどうかはお金とはあまり関係ないんじゃないかな。

お金があっても幸せを感じなかった20代
こんばんは 保険外交員やりながらブログ書いてるミオレナです。
オジサンたちに「あたし30歳までに2000万円貯めてたよ」と言っても「若い女がそんなに貯められるわけねーだろ」って信じてくれないんですよね。
「貯められるわけねー」と決めつけてる時点でアウトですな(# ゚Д゚)
いや、収入自慢とかじゃなくて。
約30年前のバブルのころといっても建設関係の零細企業の事務員だから月給は20万円くらい。
フツーですフツー。
太っ腹社長のおかげでボーナスは月給×7か月分くらいもらってたけど。
親元から通勤してたから家賃とかはかからない。
毎月2~3万母親に渡してただけ。
お酒もタバコもやらないし、ブラント物にもまったく興味ない。
当時は携帯もネットもなかった。
強いて言えば車が好きで数台キャッシュで買った。
それでも自然とお金が貯まった。
何か夢や目標があるわけでもなく。
気がついたら2000万になってた。
“うおーーーーーこんなに貯まったのかーーー!”
といった感慨も興奮もなにもなかった。
ただ通帳の数字が増えていっただけ。
あ~~2000マン。
近ごろ金融庁が発表した『公的年金以外に必要な老後資金』の額ではないかー。
あの2000万はそれから出逢ったある人物と出来事のおかげでみるみる減っていった。
贅沢な暮らしをしたわけじゃない。
高価な物を買ったわけでもない。
それなのに恐るべきペースで減っていったのは、私の無頓着さと無欲さによるところが大きい。

お金がなくても幸せを感じてた理由
ある人物と出会ったのがきっかけで2000万あった預貯金は結局80%近くも減ってしまった。
さすがにそこまで減ると焦る。
“自分はどこまでお人好しなんだ!?”と呆れた。
お人好しどころかバカだなこりゃ( ノД`)
でも不思議と誰も恨んだことはなかった。
何かを後悔したこともほとんどなかった。
むしろ『生きてる実感』があり充実していたんだ。
この歳になって何度も何度も振り返るが、どう考えてもお金があった若いときより波瀾に満ちたその後の人生のほうが幸せを感じている。
なぜだろう。
① 親と一緒に住んでたときは完全なロボットだったから。
学生のときも就職したばかりの頃も特にやりたいこともなく疑問も持たず、母親が絶対だった。
いかに親を助けるか、親が喜ぶか……そんなことばかり考えていた。
そこそこ良い学校に行き、素行に問題なく、親元から通って常に親の監視下にある状況。
母親は私に不満はなかったはずだ。
私は従順なイエスマンだったからね。
② 自立した。
親元を離れて初めて自分が選んだ人と一緒に暮らした。
自分で決めて自分が好きな人と好きなことをやった。
結果的に不運なことになったわけだが、私の心の中は何があってもいつもいつも幸せだった。
初めて感じた人間らしさ。
運が悪かったイコール不幸なわけじゃない。
ここうんと大事。
例えば受験失敗、病気、離婚、リストラ……
これらは単なる不運な出来事にすぎない。
不幸かどうかはあくまで自分の感じかたの問題。
離婚して家族みんながハッピーになれるのならそれが一番の方法。
マイナスをプラスに転換できるようになって毎日ハッピーでいられるのは『自分の軸』で生きるようになったからだと思う。
自分の軸で生きるということは自分勝手やわがままとは違うよ。
親や先生や友達や同僚の目線で生きるのではないってこと。
あくまで自分がどう思うか、自分がどう感じるかを基準にするのです。
私は自分を軸にするようになってから、他人と比べるのがバカらしいと思うようになったよ。
そもそもみーんな違うんだから。
友達のKちゃんが家を建てようが、Nちゃんの娘が有名大学に進学しようが、お隣さんが昇格しようがまーったく自分には関係なし。
芸能人が不倫? イケメン政治家が結婚&オメデタ?
それがどうした?
関係ないよ。
動じない上に誰の悪口も言わない。噂話もしない。嫉妬もしない。
ブレない自分になる。
いつなんどきもブレない。
ブレないで好きなことやる。
最強。
ホントこれ最強。
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