子どもの頃から父親が大嫌いで母親は絶対だと思ってた。40年以上たってようやくわかってきたんだ。母親のほうが悪いんじゃないかって。
大好きだった母親を嫌いになる瞬間
つい先日の大晦日のこと。
例年お正月もクリスマスもへったくれもないマイペースな生活をしている私と娘にとって年越しもどうでもいいのだがいつもどおり実家に帰った。
80を過ぎた母がうるさいからというのが大きな理由だ。
母親と父親はカラダのあちこちにガタが来ていながらもなんとか一緒に暮らしている。ふたりとも全くボケていない。
実家にはしょっちゅう行ってる。
大晦日だからといって私たちの来訪を母はことさら喜ぶわけではない。
今年の正月はお節料理もお年玉も大幅に節約だ。お年玉にいたっては母は16歳でバイトをし始めた娘におこづかいをねだってた。もちろん半分ジョークだが。
シニアカーを押しながらヨロヨロと一人で買い出しに行った父が自分でお節を盛り付けたものがテーブルに用意されていた。それが父なりのせいいっぱいの喜びの表現。
歳をとるにつれてお節料理もなんだか美味しくないものだなーと思う。見た目と値段ばかりが豪華なだけで。
私たちは例年のようにダラダラとテレビを視ながらポツポツと食べてまったりする。
ウン十年ぶりに紅白というものを視た。ほとんど知らない歌手の中でも三浦大知さんが光ってた。
夜9時ごろになった。
母が騒ぎ始めた。
「もうそろそろ寝なさい」
“え!? まだ9時なんだけど”
“普段9時ころ寝てるのはわかるけど今日は大晦日じゃね??”
私も娘もブツクサブツクサ……
しかし一度言い出したら母は引かない。
「いつまで起きてるんだ。もうあたしは寝るからね」と隣室に行ってしまった。
紅白もこれから佳境に入るんだぞ。
私たちはコタツに寝そべって無言で視ていた。
あっという間に深夜11時を過ぎた。
隣室で寝付けない母が再び騒ぎ始めた。「あんたたちイイ加減にしなさい! 何時だと思ってんだ!! カラダが参っちゃうよ! バアバの言うことを聞けないんだったらもう来なくていい!!」
こうなると小1時間はグダグダが続く。
私と娘はしかたなくテレビを消してのそのそと隣室に移った。
実家に来てわずか8時間で思った「早く自宅に戻りたい」
まあいつものことだ。
こんなふうに我が家は全て母を中心に回っている。
全てだ。
母の意に沿わないことがあるとすぐキレる。文句を言う。
どう客観的に見ても母に非があることでも認めないし、それを指摘しようものなら半キチになる。
私は特に母の衛生観念に耐えがたい部分があるからたまに口に出して言うとキレて、持ってた箸をまな板にドンドンと突き刺すような仕草をされて驚いた。
私は生まれてから母に褒められたことがほとんどない。
私のやることなすこと洋服も髪型もつきあう人も職業もほとんど批難されてきた。
13年も前に亡くなった(私の)ダンナのことさえ今でも認められていない。
そのためか母に喜んでもらうことが私の言動の基準になってた気がする。
母は父をものすごく嫌っている。
嫌悪感を超えた感情だ。
私と弟は幼いころからずっと父の悪口を聞かされてきた。
ときに泣きながら父に対する憎悪を放たれてきた。
それは40年たった今でも変わらない。
思春期のまだ自我もなにもなかった私にしてみれば母親の言うことが正しいと信じて疑わなかった。
一緒になって父を毛嫌いし、ときに父を激しく責めた。
80を過ぎた父は足腰が弱くなり要介護1の認定をもらい、週に1回デイサービスに通っている。
このデイサービスについてもいつもひと騒動だ。
母の杞憂。過剰な心配。
毎週ちゃんと言ってくれるだろうか、施設に迷惑かけてないだろうか、わがまま言ってないだろうか……
まだ起きてもいないことを先回りして心配する。
聞くと、最初のころ父は介護施設のプログラムにある体操をやりたがらなかったそうだ。
それを聞いた母はまた半キチになって文句を言った。
「ダメじゃないの! ちゃんと決められてることをやらなきゃ! 通ってる以上は施設の言う通りにしなきゃダメでしょ!」
そのあたりだろうか。私はなんだか父が可愛そうになってきた。
父だってやりたくないことはある。
体操したくないなら別にしなくてもいいじゃないか。
あれほど抵抗してた父がこうやって施設に行ってるだけでもすごいことじゃんと思う。
保育園児のようになにもかにもイチイチ指図されてみんなと同じことをやる必要はないんじゃないか。父にだって尊厳はあるよ。
初めてかもしれない。私が父に対して可哀そうだとか気の毒だという同情の気持ちを抱くようになったのは。
あれだけ毎日ギャンギャン朝から晩まで母にチクチクチクチク細かい小言を言われ、あれしちゃいけないこれしちゃいけない、〇〇はこうしないといけないと規制・統制されれば誰だって性格もひねくれてくるというもんだ。
私はやっとわかってきた。もしかして
悪いのは母のほうではないかって。
もちろん父にも悪いところはたくさんある。でもつい最近気づいたんだ。
父はただ自由に自分の気持ちに素直に生きたいだけなんじゃないかって。
それが『世間様がどう思うか』『いかに常識から外れずにきちんとしているか』に異常なほど重きを置く母のガチガチの価値観と不協和音を起こしてきただけのことではないのかって。
私は父に似て自由を求めるタイプであり、同時に良識を重んじる母の気質も受け継いでいる。
恥ずかしながら50を過ぎてやっと公平に見ることができた。
父があんなに意固地になったのも私が自己肯定感が低いのも、母の影響が相当大きいのは間違いない。
今まで大嫌いだった父を赦せるようになった。歩み寄るようになった。
逆に母はあまり好きではなくなった。
いたずらに母の機嫌をとるのを止めた。
感謝はしてる。が、尊敬の気持ちは減った。
近ごろやたらと父の肩を持つようになった私に対して母は不満げな様子だが、いっこうに構わない。
私は母のために生きてるわけじゃないのだ。
こういうことが解ってから私は16歳の娘に対する接し方が変わった。
ものすごくおおらかになった。
細かいことを一切言わなくなった。
いたずらに規制するのを止めた。
娘に過度な期待をせずに信じることにした。
私と娘にとってものすごく穏やかで心地よい時間が流れ出している。
若いうちは何が正しくて何が良くなくて、どう生きていくかなんてよくわからない。
何色にも染まってない透明のキャンバスなのだ。
その定まってないキャンバスの段階の我が子に不要な規制をするべきではない。偏った固定観念や先入観、つまらない常識などを押し付けてはいけない。
我が子をどれだけ押さえつけるかによって子どもの将来が大きく変わってくると思う。
法を犯さず、人に迷惑かけなければあとは自由に好きにやってもいいんだよ。
これを唯一のモットーとするよ。
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