私は母親のロボットだった。これをやると母親はどう思うか、どう言うか……そんな呪縛が何十年も続いた。でも母親基準・世間基準で考えるのを辞めてみたら驚くほど気持ちが楽になってきたのだ。
[ad#co-1]母親がどう思うかが基準になってしまう
あなたは母親にほめられたことがあるだろうか。
私はほめられた記憶がない。
学校の成績はそんなに悪くなくておとなしい子だった。
友達をイジメたこともない。
そこそこ良い高校、短大に入った。
でも母親は喜んでくれなかった。
女はそんなに賢くなくてもいい、と。
ちょっと個性的な服を着ると「派手で嫌らしい! 」と汚いものを見るように吐き捨てる。
母の中では女性らしさ=色キ〇ガイなのか。
「視力が良くなるから」と私の部屋も弟の部屋もカーペットの色を緑色にされた。
私が他人からちょっとでも褒められるのが癪にさわるらしい。
他人の目の前で即座に全否定する。
英語が好きだった中学生時代。アメリカ人の老夫婦と知り合ったのだが、電話がかかってくると勝手に切って取り次いでくれなかった。
わけのわからない人と関わることはリスキーだと排除された。
ボーイフレンドを連れて来ると「ああいう男は好きじゃない」とダメだしされた。
どんなに上手くできた料理でも「切り方が小さすぎる」「味が濃すぎる」「盛り付けが下手」などと必ずケチをつけられる。
営業の仕事で良い成果が出ても一切評価しない。もちろん協力もしない。むしろ業績が悪化して営業職を辞めることを望んでいる。
親孝行で稼ぎの良い亭主と結婚してる近所の〇〇ちゃんや親せきの〇〇ちゃんたちを羨む話ばかりする。
毎日我が家の固定電話に20時くらいに電話をかけて私が帰宅してるかどうか確かめる。不在だと知ると遊び歩いてると決めつける。
私はもう53歳なのに、だ。
明らかにおかしい衛生観念をやんわり指摘しただけなのに箸をまな板に数回突き刺して逆切れされた。
母の言うことやることに少しでも意見、反抗しようものなら大声でキレまくる。
上記のような母の言動は、私が物心ついた頃から今までほとんど変わっていない。
子どものころは母親が絶対だった。
やや怠け癖のある父親の悪口を泣きながら訴える母親に同情すらしていた。
だから父親が大嫌いだった。
客観的に冷徹に判断できなかった子どもの頃の自分が恨めしい。
父のほうが自由を尊び、自分の気持ちに忠実に生きる人間だと気づくのにあまりに時間がかかりすぎた。
とにかく私は母親にどうすれば喜んでもらえるかばかり気にしていた。
それは母親と離れて暮らすようになってからも長い間あまり変わらなかった。
“こんな服を買うとまた母は何か言うだろうか”
“こういう髪型なら褒めてくれるだろうか”
“これを作ったら美味しいと言ってくれるだろうか”
物理的に離れたにもかかわらずいつでもどこでも母親の影がチラつく。
私が着るものなのに。
私が持ち歩くバッグなのに。
私が乗る車なのに。
私がつきあう友人なのに。
当の自分の気持ちはどこかに置き去りにして、母親の目線が基準になってしまう。
母の呪縛はつい最近まで続いたのだった。
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自分の気持ちを大切にしたらメチャクチャ楽になった
『我が子の幸せを願わない親はいない』
とはよく聞く言葉だが、うちは例外だと思う。
なぜなら母は私が楽しそうにすると嫌な顔をするから。
良いことや嬉しいことを報告しても一緒に喜んでくれない。
娘を一個の独立した人間と見ない。
奴隷のように支配し続ける。
私は父と母が度重なる入院や手術をしたときはもちろん、ことあるごとに40分かけて何百回も実家を訪ねてきた。
それは近くに住む長女である私がやるのは当然だとは思う。
でも、都会に住んでて4~5年に一度しか帰って来ない弟のほうが可愛いらしい。
年に一度『母の日、父の日』にプレゼントを贈ってくるだけの息子に一切の不満はないと言う。
ここまで育ててくれた親には感謝はしている。
感謝はしてるが尊敬はしていない。
私は50を過ぎて自分の余生というものを考えるようになった。
人生の折り返し地点というか『いつどうなるかわからない』と意識するようになった。
ならば一分でも時間を無駄にしたくない。
くだらないことに構っちゃいられない。
母がどう思うか、友達が何と言うか、先輩が、上司が……を気にするのは極力辞めようと思った。
自分がどう感じるかを大切にしたいと思った。
それを自分軸というのだそうだ。
このとき初めて自分軸という言葉を知った。
自分が行きたいと思ったところに行く。
自分がいいなと思った服を着る。
自分がやりたいと思うことをやってみる。
自分が一緒に居て心地よいと思う人と一緒にいる。
他の誰かのためではなく自分の気持ちに忠実に素直になってみる。
つまりは無理しなくていいということ。
でも
自分の気持ちを大切にすることと自分勝手は違う。
できるかぎり自分軸でいようとすると素晴らしい変化が起きた。
いっしょに居て心地よい人となるべく居るようにしたら毎日楽しくてしかたないよ!
かといって近寄るだけで心がザワつく人たちとも全く関わらないわけにはいかない。
だから挨拶程度にして距離を置くようにする。
この距離感がすごく大事なんだ。
ストレスもほとんど溜まらなくなった。
職場でもプライベートでも笑いが格段に増えている。
もっと自分の心を大切にしようとする気持ちは、自分自身を認めてあげようとすることにつながった。
今までは自分にまったく自信がなかった。
どんなに褒められようと自分に自信が持てなかった。
自己肯定感が低いのはもしかして母親の呪縛が強いことと関係してるのではないだろうか。
あれから私の心の中では母親のことを切り捨て始めている。
切り捨てたといっても世話をしないという意味ではない。
母親の感情の起伏に振り回されるのを辞め、機嫌をとるのを辞めたのだ。
自分の人生の舵取りは自分でしたいと思う。
それでこそ自分の人生といえる。
死ぬ間際に ”あ~良い人生だった~”と思いながら死にたいからね。
よろしければこちらもどうぞ。
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「自分が行きたいと思ったところに行く。
自分がいいなと思った服を着る。
自分がやりたいと思うことをやってみる。
自分が一緒に居て心地よいと思う人と一緒にいる。」
心に刺さりました。母の目線でなんでも考えちゃうあたり似たような感覚を持っていまして、ブログを拝読してなんだかとても救われた感じがしています。
くろだ 様
こんばんは はじめまして。初コメントありがとうございました。
くろださんも『母の目線でなんでも考えちゃう』かたなのでしょう。
共感していただきありがとうございます。
ネットや動画を視ると そのようなかたがとても多いことがわかりましたよ。
母親の影響は計り知れないほど大きいと思いませんか。
たまたま母親と自分の価値観や好みが同じなら別にいいのですが、もし違ってて本当は自分はこういうのが好きで
こういうことをやりたい、こういうファッションをしたいという願望があるのなら極力そうしたほうがいいと
思うのです。なぜなら人生は一回きりで、いつ何が起こるかわからないため後悔したくないからです。
私の母親は強くて思い通りにならないとすぐ不機嫌になるのですが、もう80歳を超えてます。
さすがにそろそろ母の機嫌をとってもしょうがないなと思うようになりました。
「自分が行きたいと思ったところに行く。
自分がいいなと思った服を着る。
自分がやりたいと思うことをやってみる。
自分が一緒に居て心地よいと思う人と一緒にいる。」
母の視線を意識しつつも極力私の気持ちに忠実に生きるようにしたらとても楽になりました。
回りの人との関係も良好に快適になりましたよ。
くろださん、もしよろしければまたコメントくださいね。
ミオレナさん
はじめまして。なんだか自分と少し似ている人を見つけたような気がして、思わずコメント書かせていただきました。
昔の記事のようですが、、、口の中を噛んでしまう癖、右手の親指だけマムシ指、親っぽくない人の元に生まれてしまったこと、良い人生だったと思って死にたいこと。
自分と重なる部分が多くて、驚いています。
「良い人生だった」と思って死にたいというのは、私も常に、心に留めている言葉です。
だけど最近はこの言葉が先行し過ぎて、この幸せな人生が早く終わって、次の人生をもっと自由に生きる、ということが目標になっている気がしています。
それでは本末転倒なのか?それって良い人生と言えるのか?は、まだ分かりませんが、、、私もミオレナさんのように、自分自身をきちんと整理整頓しながら生きていけたら素敵だなと思いました。
他の記事も、時々読みに越させていただけたらと思います。
ゆか 様
はじめまして こんにちは。コメントありがとうございました。
まず 半年以上も返信が遅れたことをお詫びさせてください。大変申し訳ありませんでした。
自分と似てる考えの人がいるとわかることは本当に嬉しいものですね。
ゆかさんの場合も、口の中の皮を噛む癖、右手の親指だけマムシ指、??な親に育てられたことetc
こんなに共通点がある人ってなかなかいないと思います。
共通点があるからこそこのブログで巡り会えたのかな と思ったりします。
ただひとつ気になったのは「『良い人生だった……』という言葉が先行しすぎて早く次の人生をもっと自由に生きることが目標に
なっている」という部分。
次の人生とは来世のことでしょうか。
50も後半にさしかかると以前にも増して『死』『老い』『魂』『宇宙』『命』ということを真剣に考えるようになりました。
「良い人生だった」と思いながら死にたいという目標は変わってないんですけれどね。
もしよければ また ゆかさんなりの想いなどもお聞かせください。