財布を届けても持ち主からお礼の電話すらなかった経験はないだろうか? 良いことをしたのになんだか報われない。どうやら今どきはお礼をするのは当たり前ではなくなってるらしい。そんなバカな!?
[ad#co-1]財布を拾ったから届けてあげたんだ
スーパーに買い物に行って財布を拾った。2017年10月のこと。
白い長財布だ。女もの。
ニヤリ。
二つ折りの端からカードやらがハミだしてパンパン気味である。
“状況からいって落としたてのホヤホヤに違いない”
迷うことなくスーパーのサービスカウンターに届けた。
それ以外どんな選択肢があるというのだろう。
落とし主さん、あなたは超ラッキーだよ私に拾われて。
いまどき財布を落として全く無傷で見つかるなんざ奇跡に近いことですぜ。
店長が出てきて記録し始めた。
「どこで拾いましたか? 持ち主から連絡いくようにしますか?」
ニヤリ。
そしてドキリ。
もし財布の中身について万が一相手からなにか言われたら「決して何も盗ってません」と清廉潔白を主張するためにもいちおう連絡先を教えておこう。
ってのは店長に問われて瞬時に出現した、私の中の天使的やさしさ。
しかしもう一方で悪魔的やさしさも現れてこうつぶやいた。
“謝礼だよ謝礼。ニヤリ。落とし主から1割くらいは貰えるかな……イッヒッヒ”
脳内で瞬時に算段し、店長が差し出した紙切れに私は名前と電話番号を書いた。
翌日以降も財布のことが気になってしかたがなかった。
現金だけならまだしも、クレジットカードやらなにやら大切なものを失くしてさぞかし困ってることだろう。どこで落としたかは解ってないと思う。いや、まだ財布を落としたことすら気づいてないかもしれない……
今すぐにお金が必要になってる可能性は十分にある。ならば私はスーパーに届けるのではなく、あの時財布を開けてなにか手がかりを見つけ本人に直接連絡したほうがよかったのか。そのほうが確実に早く本人に渡ったはずだ。
翌日もその翌日も私の携帯に着信はなかった。
“ん? まだ落とし主の女性は財布を手にしてないのか!? 2日間もさぞ不便なことだろう”
5日たった。未だ誰からも連絡はなかった。
“そうか! 彼女はきっとまっさきに警察に行ってるはずだ。ならば私はまず警察に届けるべきだったのか!?”
あのときの自分の判断が間違ってたかもしれないと少し自省した。
8日目。本人からもスーパーからも一切連絡はない。
なかなか頭から拭い去ることはできない。
さすがに長すぎるだろ。財布がないままそんな長期間過ごせるわけがない!
もしや彼女は既に財布を手にしてるのではないか!?
財布を拾って届けたのにお礼がない
14日目。彼女への憐みの情は若干のイライラに変わっていった。
もしもだよ、仮に彼女がスーパーに行って既に財布を手にしてたとしよう。当然スタッフからは私の連絡先を書いたメモを見せられたはずだ。あなたに人間としてのまともな良識というものがあるならば、お礼の電話くらいあってしかるべきだろう。
このドス黒い世の中にあってだよ、財布なんか落とした日にゃあ即刻盗られてあ・た・り・ま・え。二度と還ってくるわけがない。戻ってきたら奇跡だよ あんた。
それをこのあたしに拾われたこと自体あんたは宇宙一超絶ラッキーだってことを篤とわかってほしいね。しかもだよ あたしはあんたの財布を一切開かず、中身を一瞥することもなかった。あんたにわかるかい? この良心と正義の塊のような人間に拾われたことの偉大さを!
20日目。財布のことはほとんど頭から消えていた。が、白財布の持ち主の女に敵意を抱き始める自分がいる。
“おまえのような薄情の恩知らずに安寧が訪れると思うなかれ。神はすべてお見通しなのだ。我さえ良ければの考えかたで上手くいくと思ってるのかい? 感謝の心無くしてなにが幸せぞ!? おまえのような非常識な女に育てられた子どもはロクな大人にならんのだよ!”
25日目。なにげにネットで調べてみた。
『財布拾って届ける お礼なし』と。
すると出るわ出るわ検索キーワードそのものの事例が……
そして驚愕の事実を知る。
いまどきは財布を届けてもらってもお礼なんかしない
ということを!!
ガーーン! いったいどうゆうことだ!? 拾い主にお礼をしないのか!?
こうゆうことだ。
落とし主からすれば、どんな人かもわからない人に電話をすれば携帯番号も知られてしまう。その後どんな恐ろしい展開になるやもしれない。だから落とし主に直接電話はしない。
個人情報。個人情報。
こういう時代なのだ。
“ブルータスお前もか!?”
私は辛酸舐めつくしの半生を振り返り、またしても裏切られたと愕然とし、世界を呪った。
『感謝する』こんな些細な根源的な行為すら実現されなかった。
希望の灯がまたひとつ消えた。
1か月たってそのスーパーに買い物に行った。
ついでに店長に念のため財布のことを尋ねてみた。
とっくの昔に持ち主の手に渡ってることが判明。疑念は確証となった。
再び平穏な日常が訪れた。
半世紀以上生きてきて、また新たに学習事項が増えた。
感謝は大事だ。しかし
感謝の強要は精神衛生上まったくよろしくない。
考えてみるがよい。
財布を拾って届けたのは自分の勝手。
メモに連絡先を書いたのも自分の勝手。
しかも連絡先を知らせたかったのは些かの謝礼をもらいたいという疚しい根性があらばこそ。そう思ったのも自分の勝手。
連絡を待ってたのも自分の勝手。
すべては己のため。自己満。
見返りを求めたとき、善意は善意でなくなる。
感謝する心は尊い。感謝されるのは嬉しい。しかし
感謝の強要はするもんじゃない。
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こんにちは、お邪魔します。そうなんですよね、世知辛い世の中ですよね(*_*)
そうかと思えば逆に、届けて間もなかったのか入れ違いだったのかナカナカの大きさの菓子折りをもって走ってきてくれた事がありました。胸熱でした。
お財布もですが、迷子も最近はこまりますね。
従業員時代に直ぐ横に迷子センターやサービスカウンターがある店舗だったのでしばらく様子見てそこへ預けたら親に逆ギレされたとかは凹みましたね。
それだけならいいですけど、親切な人どころか誘拐とか不審者扱いになりかねないなんて悲しいですね。
みふた 様
この記事に初めてのコメントありがとうございます☆
ナカナカの大きさの菓子折りを直ちに持ってこられたなんて、落とし主さんは常識的な人
ですねー。よかったよかった☆ こういう世の中だと余計に感激するものですよね。
それに比べて迷子センターのそれはいったいど、どういうことですか!? センターに預けたみふた様の善意が裏目に
出てしまったということですか。 よくテレビなどの話としては聞きますが実際そういうことがあるんですね!
逆切れなんてとんでもないことです。 そういうふうに、よく確かめもしないですぐに不審者だなんだって
決めつける人が増えてきてるからますますおかしな世の中になってるんだと思います。
他にも例えば子どもたちが、知らない人からの挨拶に対して返事をしないとかね。
あたりまえのことをあたりまえにできるようにしていきたいものです。