「すぐに帰ってくるよ」と言い残して、ルイスは遠い遠い異国の地にひとり旅立ち二度と還ることはありませんでした。 後日FAXで送られてきた、笑顔のルイスが大きく載ってる葬儀の案内状。それを見て初めて、ルイスは本当に亡くなったんだと思いました。
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[ad#co-1]最愛の人と出逢った意味、亡くなったことの意味
ルイスは本当に逝ってしまった!
あの無邪気な笑顔も、たくましい肉体も、家族だけでなく全ての人を愛するとてつもなく大きなハートも!
二度と絶対に絶対に見ることも触れることもできなくなってしまった!
ガンは末期だったから、いつどうなってもおかしくない覚悟はできてたはずです。
それなのに、いざ本当に亡くなってしまうと全てのものがガラガラ崩れてしまいました。
時が止まりました。
彼の代わりはこの世に一人もいない。
70億人もいるのにたった一人もいない!
ペットや友人が亡くなったときとは全然違うんですよ、配偶者・つれあいの死というものは。
死に目に会えなかったのは私に別れの瞬間を目に焼き付かせたくなかった、あなたの最期にして最大の優しさなの?
そんなことないですよね。
今でも毎日考えない日はないんです。
“苦しまずに逝ったの?
最期は一人ぼっちじゃなかったの?
さぞかし無念だったよね……”
って毎日毎日考えてしまうんです。
愛する人の死もすべて意味あること
ルイスと私が出逢ったのは某駅のロビー。
ふとした会話がきっかけで、まるで昔から知り合いだったみたいに自然にすんなり仲良くなりました。
もともと二人ともその駅の地域には住んでなかったのです。
お互いたまたま用事があって、めったに行かないその地へ出かけただけのことでした。
生まれた国も育った国も環境もまるで違う私たちが、あの日あの時刻にあの場所で出逢ったのは奇跡としか思えません。
もし宇宙の法則があるなら、どう考えても私たちの出逢いは最初から決められてたとしか思えないのです。
さらにあり得ない妊娠で、あってはならないタイミングで娘を授かったことも奇跡とか思えません。
そしてルイスが亡くなってしまったことも何か意味があるとしか思えません。
その意味が何であるのか12年間ずっと悩み、答えを探しあぐねて来ました。
愛する人を失っても心がズタズタにならないため
ルイスを失った直後、多くの友人知人が薄っぺらい同情の言葉を投げかけました。
失礼ながら私にはそう思えました。
そんな中たったひとり、不思議な魅力のあるS子だけはこんなことを言ったのです。
「神様はね、乗り越えられない人には試練を与えないよ」
ハッとしました。
当時そのようなことを言われたことも、そういう概念もありませんでした。
その言葉にかなり救われたのです。
それまでくぐり抜けてきた嵐のような日々も、抑えてきた感情も一気に溶かされた気がしました。
”ふつうの女性ならまともな精神状態でいられるはずがない”
”こんな状況で誰かに寄り掛からずに生きれる訳がない”
悲劇のヒロインを気取るのが大嫌いな私でも、思わずそんなふうに考えてしまうほどの辛苦の日々。
それでも、なにがあっても耐える心ができています。
メソメソ愚痴をこぼすことなく前向きに生きていってます。
自分だけでなくも他人にも想いを馳せることができています。
あのときのS子の言葉のおかげです。
愛する人を亡くした人たちへ
大切な人を亡くした悲しみに打ちひしがれるかたが多くおられることでしょう。
いろいろな死がありますが、愛するつれあいを亡くした悲しみは同じようにつれあいを亡くした人にしかわからないものです。
愛する子を亡くした悲しみは我が子を亡くした人にしかわからないのです。
人間にいくら想像力があっても、頭でわかるのと実感としてわかるのは違うのです。
♦ あの人のことが頭から離れない…
朝から晩まで、どこへ行っても何をしても考えてしまう。
ずっと閉じこもってるのは良くないからと勇気を出して街に出てみても、彼と似てる人を見ると ”あっ、あなた……!?” と目で追ってしまう。
そんなことはありませんか。
生きてるときはときどきケンカしたり気まづくなったりしたのに、亡くなってから想い出すのは楽しいことや良いところばかりなんですよね。
あの人が身に着けていたどんな小さなものでも見るたびに胸がつまり、片づけようとする手が止まります。
遺品整理なんて何年経ってもぜんぜん進まないんですよ。
♦ 「いつまでもメソメソしてないで早く立ち直りなさいよ」という声に対して…..
私のお客様の中に60代の女性がいます。
2年前にご主人を亡くされ、私が仕事で訪問するたびに涙を見せます。
つい先日も久しぶりに訪ねると「西の空に主人がいるのかしら.」と言い、一緒に空を見上げました。
彼女は最初のころこんなことも言ってました。
「友達がね、主人の話を聴いてくれるんだけどね、すぐに話題を逸らしてしまうのよ」と。
辛い経験をしたことない人はとかく配慮に欠ける言葉を発してしまいます。
「いつまでも暗くしてないで早く元気になって」なんてね。
相手に悪気がないのはわかるのですが。
元気になれるならとっくになってますよね。
そんなに早く立ち直れるわけもない。
年月が解決してくれるわけでもないんです。
心から理解できないのなら無理にとりつくろう言葉を言わないで黙って寄り添うだけでいいですよ。
欲しいのは心。
私はルイスを亡くした瞬間から悲しみを強引に封じ込めることでしか生きて来れませんでした。
10年くらい経ってやっと少しずつ心の鎖が解かれ始め、12年目にして初めてこうしてブログを書いてみようと思いました。
自分を表現できる手段があるのは幸せなことだと思えるようになりました。
『前編:愛する人を失った悲しみ』はこちら↓
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