近ごろ猫好きが多い。会社の駐車場にも猫がウロウロ。町に出れば猫カフェ、店に入れば猫グッズ、猫用ペットフードとまあどこもかしこも猫だらけだ。 だが私は昔から猫を可愛いと思ったことがない……
photo credit: Tambako the Jaguar New portrait of Orion via photopin (license)
[ad#co-1]猫はあまり好きじゃないから
職場に大の猫好きが2人いる。
2人のうち大先輩である田中さんが、ある日職場に猫を持ってきた。
事務所のドアを開けるなりケージを床に下ろすと、中から三毛猫が飛び出してきた。
田中さんは「こらっ! 待ちなしゃい!」と愛情たっぷりに叱りながら片手で猫のお尻を引っ張る。
事務所にいた4,5人の職員が「わあ~可愛い!」と集まってきた。
みんな目を細めながら代わる代わるなでている。
事務所の一角がほんわかムードに変わる。
私は遠巻きに眺めながら自分の席で仕事を続けた。
猫は昔からあまり好きではない。どんな可愛い子猫でも可愛いと思ったことがない。
以前の私なら輪に加わって「かわいいですね」とか言いながら2回ほど猫の頭を撫でたであろう。
“こんなに可愛いのに可愛がらないなんて薄情な人ね” と思われたくなかったから。 それに、ひと癖ある大先輩の機嫌を損ねたくないし。
でももうやめた。
可愛いと思ってもいないのに可愛がるフリをするのをやめにした。
そうかといって露骨に嫌な顔をしたり「猫って苦手なんですよねー」などと言うこともしない。
誰だって好きなもの嫌いなものがあるのだから、いちいちそれを口に出してアピールする必要もないと思う。
ただ黙って自然体にしてるだけ。
思い起こせばこういうことって猫だけの話じゃない。
人間の赤ちゃんもそう。
お客様や友人にお子さんが誕生して駆けつけることがあるのだが、心から可愛い!と思うことはめったにない。
可愛いと思わないのに「うわー か、かわいいですねー!」と言う。
そう言わないと失礼であり、相手がそう言われるのを期待してると思うから条件反射的に褒めてしまう。
心底かわいいと思わない赤ちゃんを目の前にして、いったいどう言えばいいのだろう。
「わー! 赤ちゃん!」と見たまんま言う?
社交辞令もときには必要。
それが社交辞令オンパレードになると疲れてくるよ。
猫が嫌いな人が少なくても 自分はどう感じるか
猫があまり好きでないのに回りに合わせて可愛がるフリをする。
可愛いと思わない赤ちゃんに目を細めて頭をなでてしまう。
祝福したい気持ちなんかサラサラないのにお祝いをする。
白い目で見られたくないからお年寄りに席を譲る。
『みんなが期待してるから』と本当はやりたくないことを頑張る。
どれも自分の本音によることじゃなくて、他人からどう思われるかを意識した言動だ。
つまり他人軸ということ。
子どものころは自分の心の赴くままだったのが、大人になるにつれ複雑なフィルターを通して眺めるようになる。
本当の気持ちをどこかに置き去りにしてしまう。
自分が自分でなくなる。
身の回りのモノたちもまた他人軸になってはいないだろうか。
例えばクローゼット。
いつからかグレー・黒・ベージュ・白などの地味な色の服が多くなった。
黒いスカート。
グレーのカーディガン。
白いカットソー。
ベージュのコート。
暗い……
私はもともとはパープルや水色やピンクが好きなはずだ。
お店に入って目に飛び込むのは明るい色の服。
本当は華やかなものが欲しい。
それなのに心の中のいろんな声が自分にストッパーをかける。
『こんな色を着ると派手なお母さんて思われるんじゃないか』
『お客様が「落ち着いた人がいいわ」と言ってたから地味にしよう』
『こんな服を着れば柔らかく見えるのかな』
『赤やピンクなんて年甲斐もない……』
フィルターを通して選んだ服ばかりだ。
まったくウキウキしないよ。
ウキウキしないものを毎日身に着けてると心のバランスが崩れそうになる。
着るのは自分。親でも近所の人でもない。
自分が主役なのだからもっと自分の心に素直になりたい。
本当はなにが好きなのか、なにをやりたいのかを基準に考えるようにしよう。
好きなものに囲まれる。
やりたいことをやるようにする。
そうすればもっと楽しくなるはずだ。
ストレスも減る。
人生は一度きり。
他人に合わせてる場合じゃない。
他人と比べてる場合じゃない。
自分軸がしあわせになるための近道……
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