愛する人を亡くした悲しみを、時が解決しないこともあるのです。(前編)

毎日ハグして「死ぬまで愛してるよ」と言ってくれた陽気でたくましい夫が、風邪ひとつひいたことのなかった彼が38歳で逝ってしまいました。 3歳のひとり娘を残して……

時が解決する?? いえいえそんなことはありません。12年経った今でも悲しみが癒えることはありません。

27415515600_20b2c23811photo credit: For Orlando via photopin (license)

 

本当に悲しいときは泣けないものですね

 

夫(仮称:ルイス)は、遠い異国の地からやってきた、ちょっぴりキザで明るく優しい力持ち。

人気者で、「ほら、ルイス!ジュースの差し入れだよ」なんて皆さんに可愛がられていました。

 

かれこれ18年ほど前にこんなことがあったんです。

私が駅の待合室のベンチに座ってると、隣でホームレスとおぼしきおばあちゃんがビスケットをボリボリこぼしながら食べていました。

そしてチラチラ私を見ながらこう言いました。

 

「す、すみませんがお姉さん、1万円ほど恵んでもらえないかねえ…」と。

 

とっさに私の頭の中にはいろんなものが錯綜しました。

”助けてあげるべきなの? いくら渡せばいいの?

それとも….”  結局1分ほど迷った挙句、なにもあげずにその場を離れました。

 

帰宅してすぐにそのことをルイスに伝えると、彼は私を厳しく叱りました。

「アナタ! どうしてオバチャンになにもあげなかった!? オレはね、例えば誰かが自動販売機の前でお金がなくて困ってるとするでしょ? そのときネ、もしオレが200円しか持ってなかったとしてもネ、絶対に100円あげるよ! 半分あげなくちゃいけないの!

もしアナタが困ってるときに、誰も助けてくれないはどうするの!? 悲しいでしょ!」

 

私には返す言葉がありませんでした。

金品をあげることが、相手にとって良いことなのかどうなのか….彼にはそういう理屈は関係なかったです。

 

そういう人でした。

 

祖国に学校を建てることが夢だったルイス。

既に広大な土地も購入してありました。

そういう人でした。

 

とにかく働き者で朝から夜中まで働く毎日なのに、疲れた顔ひとつ見せなかった。

家では掃除や料理もマメにやり、ときに私の髪の毛まで染めてくれました。

「いつもキレイにネ♪」って。

 

風邪ひとつひいたことなかったルイス。

 

そんな頑丈だった彼が、突然頭が痛いと言いだしました。

最初は ”疲れかな” と思ったり。

それにしては長引いててなかなか治らず、近くの小さいクリニックを点々としました。

ところが頭痛は治るどころかだんだん酷くなっていったのです。

 

1か月以上たったころ。ある医師から大きな病院を紹介してもらい、初めてMRIを受けました。

 

医師が下した診断は、ガンでした。

しかも極めて症例の少ない、難しすぎる位置で手術もできないガン。

 

幾多の困難をくぐり抜けて奇跡的に授かったひとり娘を出産して、わずか1カ月目のことでした。

当時、産後ケアしてもらうために実家にいた私は、電話で呼び出されて自宅に戻りました。

 

そして彼は私に告げました。

私は狂ったように泣きわめき、一生分の涙を流しました。

 

ショックで母乳も止まってしまいました。

でもルイスは涙ひとつ見せませんでした。

いつもと変わらぬ明るさで「ダイジョウブだよ。オレは死なないから」と繰り返しました。

 

私はルイスの前でひとしきり泣いたら、すぐに娘の待つ実家に帰らなければなりませんでした。

 

ルイスは生まれたばかりの娘を抱くこともできず、そのまま入院しました。

 

その後もルイスは入退院を繰り返し、その間ずっと娘は私の実家で面倒をみてもらいました。

私は病院と実家を何度も往復する生活が続きました。

 

抗がん剤治療もひととおり落ち着き、一時的に退院が許されました。

やっと娘を実家から自宅に連れて帰りました。

初めて親子3人自宅で暮らせるようになりました。

娘が生まれて6か月たったときのことです。

28534358620_836ec48444_mphoto credit: Family silhouette via photopin (license)

 

愛する人を奪ったんだから神様なんかいるわけない

 

せっかくやっと親子水入らずで暮らせるようになったのに、夫婦で始めたばかりの商売と、育児と、病院通い、日本語の書けないルイスのフォローなどで生活は修羅場でした。

 

1分間の間に究極の選択を同時に3つしなければならない場面もありました。

 

親子でなにを見てなにを食べ、なにを楽しみ、どこに出かけたのかほとんど記憶がありません。

 

そんな中にあっても彼は絶対に弱音を吐かずいつも私を励ましました。

私は悲しみや涙を最大限の力で無理やり封じ込め、極力ふつうにふるまいました。

 

にもかかわらずルイスの病状は刻々と悪化していきました。無情にも……

 

1年後に受けた余命宣告。

それでもルイスは全く変わらず「ダイジョウブだよ。オレは死なない。シンパイないで」と。

 

ガンというのはある意味ラッキーな面もあるのです。

普通に仕事をこなせるし、最期の日に向けての心の準備ができるのです。

 

驚くことにルイスは余命宣告を大幅に超えることができました。

抗がん剤の副作用もほとんど酷くなく、吐き気や脱毛もなかったのです。

 

このまま治るんじゃないかな、と思ったほどです。

 

でもガンというのはしぶといですね。

放射線で叩きまくっても消滅しませんでした。

遠くの有名病院で、ガンマナイフというピンポイントでガンをやっつけるための治療を受けました。

頭に何本ものボルトを麻酔なしで捻じ込まれました。

それでもたいして効果はありませんでした。

 

腫瘍が視神経を圧迫し始めると、顔つきも変わってしまいました。

 

意を決して、当時テレビで放映されてた『神の手をもつ外科医』にすがるべくコンタクトをとったりもしました。

 

ルイスはクリスチャンです。

お祈りや魔術みたいなこともしょっちゅうやってました。

Get away tumor!!  (腫瘍消し去れ!)と吐き捨てるように唱えながら……

 

病状が末期になるにつれ、あれほど優しかった性格がなぜか少しずつ歪んできました。

私に対してもあらぬ疑念を持ったり、嫌味言ったり、ささいなことでケンカが増えました。

 

あの日もケンカして私は冷たく言い放ったまま、彼は仕事と治療で祖国に帰って行きました。

「すぐに戻る」と約束して。

 

ルイスは祖国でも精力的に働いたそうです。

1日に100km以上も運転してたと聞きました。

 

その数カ月後1本の電話が入りました。

ルイスが亡くなった。

 

海岸沿いの設備の整った病院の一室で、ひっそりと亡くなったと知りました。

 

彼の笑顔が大きく写った葬儀の案内状が1枚、現地からFAXで送られてきました。

 

すぐに戻ると約束したのにそのまま祖国の土となったルイス。

 

祖国でおおぜいの家族に見守られて、きっとそのほうが幸せだったことでしょう。

 

最期の姿を見ていないからなおさら、私はルイスの死を受け入れることができません。

 

風のようにやってきて、風のように去ってしまったルイス!

 

私が今までで一番愛した人が奪われてしまった!

 

いったい彼が死を以てして償わなければならないほどの、どんな罪を犯したというのでしょう。

 

世の中にはもっともっと悪どくて、汚くて、卑劣で、非情で、利己的な人が五万といる。

そういう輩がノウノウと生きてて、ルイスのような人間が若くして亡くなってしまうなんてあまりに不公平じゃないですか!

おかしいではないですか!

 

もし神様がいるのなら、こんな理不尽な仕打ちをするわけがないですよね。

だから神様なんかいてたまるもんか、です。

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※後編につづきます。

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